偶然


タイトル横の数字は+−10点を満点としての、好き嫌いだと思って下さい


  「たまたま・・・」が人生をいい意味でも悪い意味でも狂わす      +−0

 ここで言う「偶然」、これは先に書いた「運」とかぶるものがあるが、御容赦願いたい。


突然だが、私は母方の祖父を知らない。
まあ、これはよくある話で別にいいのだが、今回はこの祖父の「偶然」があったことにより、私が生まれてこれたという話。

 私の祖父は、昔、「秘書」という仕事をしていた。今はどうか知らないが、もちろん秘書はすぐになれるものではなく、見習いとして最初は祖父もある男性のもとで勉強させてもらっていた。
まだ秘書見習いをしていた昭和7年の5月、混沌とした社会情勢の中である有名なテロ事件が起きた。
折りしもその時、祖父は体調を崩して地元岡山にて休養中であった。
この時、まさにこの時に祖父が体調を崩していなければ私は生まれていなかったのである。
このテロ事件により、先ほどある男性と述べた、祖父が敬愛してやまなかった一人の男性が銃弾に倒れた。その知らせを聞いた祖父は、
「私がいたら、もしも私がそこにいたなら命に代えてもあなたをお守り出来たでしょうに!」
と悔しがり泣き伏したという。
今では、誰かの為に命を捨てることは必ずしも美徳とも考えられない世の中だが、当時は殉職は当然にあったようだ。幸いにしてというか、祖父は偶然に体調を崩して地元に帰っていたおかげでテロに巻き込まれることもなく、殉死も思いとどまり命拾いをした。
ちなみにこの事件は、「話せば分かる」で有名な5.15事件のことである。
 
 その後、祖父は願いを受け、敬愛するその男性の息子の筆頭秘書(今で言う第一秘書)になった。当時、吉田茂内閣の頃だったと思われる。きっとその息子の片腕として働くことが祖父が生き延びた理由だと思ったことだろう。
祖父はその息子(健さん)に自分の末娘の名前をつけてもらった。ちなみにそれが母なのだが。


私が母のお腹にいるとき、祖父は病気で植物人間となっており、孫の中で私だけの顔を見ずに他界した。
自分の最後の孫を抱くことが出来ないことがわかっていたのだろうか、祖父は植物人間になっていたとき、母の夢にでたらしい。



「お前の子はきっと女の子だ。○○っていい名前だろう・・・」


と母の夢の中で祖父はそう言ったらしい。
ちょっと身震いするような話だが、そのお告げの通りに生まれた子は女の子だった。
もちろん私につけられた名は、祖父が夢でつけた名前だ。




ひとつの偶然が新しい命を生み、新しい未来を築いた。そんなお話。

 




















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